日本酒って、なんか敷居が高いイメージ。だって、なんかラベルにいろいろ書いてあるし、わからないって言ったらはずかしいなぁ。
ウンチクも何も知らないんだけど、単に美味しいお酒が飲みたいだけなんだ。
一緒に飲みに行った相棒なんかが少し日本酒に詳しかったりすると、ドヤ顔されたり知識を披露されるのがうざいなぁ・・・だからなるべく日本酒は敬遠しちゃう
こういう経験や思い、皆様にもあるのではないでしょうか…?
正直、日本酒はどうしても知識とセットでないと恥ずかしい思いをするという印象がつきまとうので、面倒ですよね…
日本酒の美味しさはすごく魅力的だけど、どうしてもそれ以上には踏み込めない…
そんな悩みを持つ方に向けて、飲食店で日本酒を飲むときに恥をかかない!という視点でお話していきます。
ビールやサワーなんかと同じように気軽に飲めるものでもいいのではないか、と個人的には思っています。
もちろん、日本酒を造ってくれている方々に敬意は払う必要があります。
しかし、とっかかりとしての敷居の高低は、できれば低い方がいいはず。
そこで興味を持てば、自ずとそれぞれの世界が広がっていきます。
さて、飲食店で日本酒を飲むとき、どんなことに気をつければいいのか。
いやいや、そんな堅苦しいこと考えないで、自然体で飲むのが一番でしょう
仕事から解放され、リラックスしたい時にまたもやマナーとか、煩わしく思う気持ちもわかります。しかし、「マナー」とは作法をすることが目的ではなく、「人に対する思いやり」が源泉となる考え方。
お酒を嗜む以上、一人の良識ある大人としての振る舞いは、結果として美味しいお酒を飲む場を作ります。良質な飲み仲間もできるかもしれません。
ちょっと説教くさい文章になってしまいましたが、今日はそこに着目しましょう。
飲み屋で恥をかかない飲み方とは?
このページでは、いわゆるマナー講座、とはちょっと違った視点で説明致します。
片手の酌は失礼とか、両手で酌を受けるとか、割と本に書かれているそう言ったことは皆わかってらっしゃるんですよね。そうではなく、杯が進むにつれてしがちな「残念」タイプの方の例です。私が目の前で実際に見てきた経験を書くので、誰も教えてくれない!そんな内容です。
では、前置きが随分と長くなってしまいましたが、日本酒業態で日々カウンターでお客様と接してきて、困ったこと、お客様同士でのやりとりで気づいたことをお話していきます。
「マナー」の本質とは?
マナーは何のためにあるのか。
ちょっとおしゃれなフレンチに行ったりすると、慣れないテーブルマナーに気を遣い、落ち着いて食事できない。
茶会席に出席した時、進み方や茶の飲み方などの作法でしどろもどろしてしまった…といった経験がある方もいるのでは。
こういう場合、知識として知っていなければいけないことはもちろんですが、本質が理解できていないと、ただやるだけの「作業」になり、苦痛を感じてしまいます。
不作法、マナー違反とされている行為の理由には、
1、人を不快にさせる
2、清潔感に欠ける。
3、品位に欠ける。
4、酒器を破損させる危険性がある。
5、室内の調度を汚す可能性がある。
6、日本酒の品質を損ねる可能性がある。
7、祝儀や不祝儀両面にふさわしくない
と言った点が挙げられます。
つまり、マナーは他人への思いやりという考え方が根底にあるのをまず理解する必要があります。
「冷や酒は冷やした酒ではない」
よく、「冷やで!」という言葉を聞きますが、本来は「お燗をせず、冷やしてもいない、常温状態のお酒」を指します。
これが大衆酒場ならまだしも、ある程度敷居が上がってくると、「「冷や」っていうと本当はさぁ〜」という方が出てきます笑・・・ここはちょっと面倒くさい部分です。
「冷や」とは冷蔵庫のなかった頃の言葉。冷たくもなく、熱くもない常温状態の「冷や」が意外においしかったりしますが、ちょっと大衆的なところで常温で出てくると、「ちゃんと管理してるのかなぁ??」と思ってしまうのが悩みどころです…。
非常に紛らわしい言葉ですが、「冷酒で」というと割と行き違がないですね。冷酒は保管区分での言葉なので、具体的に冷蔵状態で保管されているイメージも湧きやすい。
心配なら店主に聞いてみるのももちろんアリです。
純米大吟醸を、燗にするのはアリか
結論から言って、アリかナシかと聞かれれば、ナシです。吟醸酒は「吟醸造り」という工程を経て、香が高く作られていることが多く、ほぼ冷蔵保管のお酒が多い。
温めることで吟醸香が立ち過ぎ、かえって飲むのに邪魔になってしまいます。これが一般的な解釈なのですが、「燗をつけて美味しい吟醸酒」ももちろんたくさんあります。
中でも知名度抜群でおすすめなのが「獺祭45」です。
獺祭シリーズは大きく精米歩合で45、39、25、その先へ
と分かれていますが、「獺祭の中では」高精米歩合の45は燗にしても驚くほど香が邪魔せず美味しくいただけます。
そういった経験や知識の裏付けがないと、吟醸酒の燗はなかなか難しい。
今では日本酒の情報が豊富にあるので、燗向きのお酒を探すのは簡単ですが、
飲食店側が旧態然とした考え方だと、メニューの「燗酒」以外の日本酒は全て冷酒提供、というところが少なくありません。
そこも十分考慮して、注文するようにしましょう。
日本酒は「純米」以外まがいものか
ここは個人の価値観の部分ですので、良い悪いという視点はハナから間違っていますが、過度な「純米酒信仰」のお客様も結構いらっしゃいます。
老若男女問わず全世代というのが私の実感ですね。
醸造アルコールを添加された日本酒、いわゆる「本醸造、吟醸酒」は様々な理由のもとに造られています。
飲んで見てわかるのですが、シンプルに美味しい。
ぶっちゃけ純米酒とアル添酒を、ブラインドで当ててみる…ということをしても、ほとんどの人はわからないと思います。
まぁ、そういうことを言ってしまうと元も子もないのですが、
それだけクオリティの高いお酒であり、なおかつ消費者に飲みやすい価格で蔵元が提供してくれているとうことでもあります。
(このあたりの話はまた別の記事で述べてみたいと考えています。)
何が言いたいのかというと、何かあまりに狭い範囲の縛りを設けてしまうと、その世界を広く知れる機会そのものを失ってしまうということです。
そして、「純米こそ日本酒」と宣言してしまっている人は、建前上、それを撤回できなくなってしまっているという現実もあります。
本醸造酒でも、調べてみると意外にメリットもあり、「これはこれ」という感じで味わっていくことこそ、日本酒通らしく見えますね。
お酒はたくさん飲めればイイ、という価値観は、無意味
日本酒のアルコール度数はだいたい15%。
ここも見落とされがち。もちろん知っている人も多いのですが、昨今の日本酒はフルーティーだったり、軽快なものも多いので、まだ酔いが回らないうちはビールやサワーのようにぐいぐい飲んでしまうことが本当に多いです。
「日本酒はアルコール度数が高く、それをストレートで飲む」という事実をわかっている方は、最初の一杯でも少しずつ、料理と共に身体と相談しながら飲んでいます。
私は修行時代、「酒は量を飲んでナンボ」という先輩方に囲まれ、無理やり飲まされました。「酒に強くなれ」という名目で、飲みに連れて行かれては吐き、バカにされ、ずっと嫌な思いを続けてきました。
お酒についての魅力や飲み方など、そういう大切なことは一切度外視、「量こそ全て」という価値観でした。
私と同世代ならそういう経験がある方も多いのでは。
確かに、そこそこ飲めた方が、色々と飲み比べできるので、メリットもあるかもしれません。飲みの席で人との関わりもできやすくなるかもしれません。
しかし、そうして飲まされたことは今になっても黒歴史としてしか思えず、かえってお酒を嫌いになってしまったので、
「酒量を追求する価値観はお酒そのものを楽しむ意識が全くない」ということを学びました。
確かに、酒量が多い人からすると、あまり飲めない人って野暮ったく見えるかもしれません。だからこそ、そういう場面で素の人間性が見え隠れするのだと思います。
最後の一杯を無理しない
前述の話と少し重なる部分ですが、「酒の一滴は命の一滴」と銘打って「絶対に残すな」という人もよく見かけます。
お酒を苦労して造って下さっている方のことを考えると、その考え方自体は非常に大事ですが、そこの落とし穴があります。
日本酒は本当に飲みやすいものも多いので、飲み慣れていない人ほど、10分後、15分後の自分の状態をなかなか予測できないのが現実です。
お店がラストオーダー、そろそろ帰らなくては…
というときに、徳利にまだお酒が残っている。
「もったいないからそれ、飲んじゃえよ!」と言う人、本当に多いのですが、その1杯が致命的なダメージを体に与えることもあります。
駅のホームで吐き散らかしてしまったり、自宅に帰れなくなったという人を何人も見ました。
「お酒は大事なものだから、残さない分量を注文すべき」と言う考え方に変えてみてはどうでしょうか。
帰宅できる体力をしっかり残し、程よく酔いが回っているくらいがちょうどイイのです。
日本酒の知識は程よくかじり、心の引出しの中にそっとしまっておく
「せっかく勉強して知識をたくさん得たんだから、それを飲みの場で披露したい、話したくなってしまう」
これ、最悪なパターンです。
カウンターで客観的に見ていると「あちゃ〜」って人、本当に多い。
例えばお店など、提供する側がプレゼンとしてこれから注ぐお酒を紹介するのと、飲みながらウンチクを言うのとではまるで違います。
一緒に飲む人が、
「日本酒の勉強をしたくて、知識のある人とそれを目的に来た」
という場合であっても、実際のところ「教わっている側」は退屈している場合がほとんどです。
相手に対して、知っていることを教える、という行為は一見有意義なことに思えますが、よほどお互いの関係ができていないと、相手に対してマウントを取っていることに他なりません。
「教えてあげている」側は、気持ちイイんですよね。自分が調べたことや勉強したことが生きている!と主観的な優越感に浸りきってしまう。
相手がどう思っているかなんて微塵も考えていません。
もしも、「教わりたい」という人に有意義な場を提供したいのであれば、本やネットで得られるような知識は言うべきではありません。例えば、「お酒の造り方は〜」みたいなことです。
なぜなら、ほぼ間違いなく、本人も知っています。そして、もしも自分の話したことが間違っていたとしたら、あなたの日本酒の先輩としての威厳はその時点で消え去ります。
「勉強したい」と言って来るくらいですから、初心者ぶっていても意外としっかり勉強している人も多いです。
まずは、その人がどのくらいの日本酒リテラシーがあるか、探りを入れた上でレベルに応じた「日本酒の紹介」にとどめましょう。
「私はこのお酒がとても素晴らしいと思う!あなたはどう思う?」
といったように、教わる側が話す割合を増やしてあげましょう。官能的な意見は言語化するほど磨かれていきます。最初は「飲みやすい」「甘い」くらいのボキャブラリーでも、官能的な表現の仕方を教えれば1時間くらいでグッと表現の幅が広がります。
飲む人が考え、表現できるようになる。
それが教える側の1番の目的、それで十分です。
飲んだ酒はほぼ忘れる
日本酒を豊富に置いてあるお店に言って、初めて出会う1本も多いことでしょう。
間違いなく言えることは、「味はもちろん、何を飲んだかすら忘れる」ということです。
仕事をしながら、日本酒のテイスティングはこまめにしていました。
お客として席で飲むのとではもちろん感じ方が変わってきますが、あくまで客観的に味を感じるのであればやはり「飲みの席」とは一線を画した場でテイスティングをするのがベストです。
ぶっちゃけ、仕事ではなく客側でリラックスして飲むと、なんでも美味しく感じてしまう。あくまで官能的に、日本酒の味の隅々まで感覚を伸ばす感じでテイスティングするのが大事。
飲んだお酒のラベルを写真に収める方も多いですが、正直あまり意味がありません。
ただ、メモを取っている方。これは効果を実感します。
自分の感覚を言語化すると、それはしっかり脳に経験として残るからです。
しかし、やはり酔いが回ると結構厳しくなってきます。
酒蔵が集い、勉強が目的の「試飲会」ですら、酔ってしまうと「ただ行っただけ」になってしまいます。(何度後悔したことか・・)
ちょっと長くなってしまいましたが、いかがだったでしょうか。店員側から見た残念に感じるお客さまの日本酒でもしぐさ。失礼に思われた方、申し訳ないです。
忖度なしの率直な意見です。ぜひあなたの日本酒ライフの参考になれば幸いです!
コメント