こんにちは。初めまして。食事処「秋田や」店主、秋田です。
このブログでは、独立開業に向けて過ごしてきたことや、これまで調理人として仕事で感じたことや学んできたことを書いていきます。
あなたは料理に興味を持ったきっかけは何だったでしょうか?
どんな仕事も「原点」というポイントがあるはず。それが意外と今後に渡って大きな動機になっていく要素を含んでいます。
私は母子家庭で、母はいつも忙しかった。毎日の食事は正直満足できるものではなかった。
電子レンジがなく、冷えたアジの開きや、缶詰だけ置いてあるだけ、という事も。
だから、アジの開きやみりん干しなど、その時食べたものはすべて嫌いでした。食べておいしいと思えるようになったのは大人になってからでした。たまのご馳走は「はまちの刺身」。
仕事で忙しかった母は精一杯育ててくれました。感謝しています。
そんな経緯で、「美味しいものを食べてみたい」という気持ちは心のどこかにありました。具体的に思っていたわけではなかったですけどね。
私は、料理の仕事に入ったきっかけは、居酒屋のアルバイト。
チェーン居酒屋です。
チェーン店の割に、そこではしっかり料理をやっていて、職人の人も在籍していました。
料理についての基礎的な知識、考え方をそこで学べたのは本当に大きかった。
正直言って、「最初に働いた環境が今後の人生に大きな影響を及ぼす」と言っても過言ではありません。そこが、その人のデフォルトの価値観として、植え付けられます。
だから、もしも料理の仕事を始めたばかりで挫折しそうな方が居たら。
多少厳しくても、しばらく頑張ってみて欲しい。
「優しく丁寧に、手取り足取り1か10まで承認し続けてモチベアップ」も働きやすくていいでしょう。
「個」が重視された現代において、当然の風潮です。ただ、今後困難に直面したときに、それを乗り越える精神力はそれでは身につかない。
イチローも言っていましたが、「辞めたいと思ったときでも、ちょっと頑張ってみたらどうか」ということ。
話は脱線しましたが、
そうして料理の楽しさを知り、「もっとしっかり料理を学びたい」と思い立ち、亀有にある料理屋に修行に入りました。
私は何にも所属していなかったため、会社を辞めて、自分の足でいろんなところを歩いて、そこに辿り着きました。
8年、月収15万、手取10万ちょっとの下働きの追い回し。
辛い8年でしたが、そこで東京都ふぐ調理師免許を取得に至りました。
その後、子供が産まれるにあたり、以前のチェーン居酒屋にツテで戻りました。
都内 銀座、数寄屋橋、浅草、神楽坂と配属され、それぞれ調理長として切り盛りしてきました。
最後は、千葉県のボランタリーチェーン居酒屋で調理長を務め、自分のお店を出すべく物件をさがしています。
私の強みは、「個人料理店」と「チェーン居酒屋」の両方の仕組みややり方を知れたこと。
そこも含め、独自の視点で発信していきます。
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